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虚実皮膜 – 日本の皮膚と肉体のはざま

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2018日から23まで、サンパウロのイビラプエラ公園内の日本館で、日系民110周年を記念した現代アートの展示「虚実皮膜 Kyojitsu-Hiniku: Between the Skin and the Flesh of Japan ― 日本の皮膚と肉体のはざま」が開催された。キュレーターはスコットランドを拠点にするメイボン尚子氏、展示アーティストとして、加瀬丹野ジュリアナデタニコ・レイン(Angela Detanico, Rafaël Lain)菅隆紀、橋本聡、藤井光が参加した。展示開催にあたり来伯中であった、メイボン氏、菅氏、橋本氏と共にジュリアナ氏に展示の背景や作品制作について話を伺った。

 

1)展示のきっかけ

 

Q. 今回の展示のきっかけについて教えていただけますか?

M. 去年の9月ごろ1ヶ月のリサーチレジデンスをサンパウロで行いました。リサーチの内容は、サンパウロにおける日本人のコミュニティーやNipo Brasileiro(日系人)というアイデンティティーでした。そのリサーチの中で、イビラプエラ公園の中の日本館を訪れました、その際建物の歴史や文脈について興味を覚え、たまたまそこにおられた文教の副会長松尾治さんと軽くお話をさせていただきました。以降、すごく日本館が気にかかってしまい、後に個別に松尾さんとお話させていただいた際に、日本館で展示の可能性があるか伺ったところ、提案があれば持ってきてほしいと言われました。そこでスコットランドに戻って早速色々とアイディアを練りはじめました。その後年末までに日本に行く機会が二度あったので、その際に会えるアーティストや関係者の方にお会いし話を具体的にしていきました。でもまあ展示の準備はいばらの道でした。これを語り始めると・・・とりあえずこのあたりにしておきましょう。

 

Q. タイトルは虚実皮膜となっています。そして参加しているアーティストの方々の方法論やテーマは多様です。今回の展示はアーティストの方を決めたのちコンセプトに入ったのか、コンセプトから参加アーティストを決めたのかどっちでしょうか?

M. どっちかという同時並行で考えました。どのタイミングでタイトルを決めたのかはちょっと曖昧ですが・・ブラジルでのリサーチとは別の文脈で、山口大学で美学を教えてらっしゃった奥津聖先生の文章のなかで近松門左衛門の芸術論と言われる「虚実皮膜」に触れたのですが、私はこの芸術論を、芸術は外に現れ出たかたちとそれを為す精神性の曖昧な空間、これは皮膚と肉体の間と表現されてますが、その間の大変薄いはざまにあると解釈しました。つまりそのはざまは皮膚と肉体どちらにも接しているのでそのどちらでもあり、同時にそのどちらでもないということです。ブラジルでのNipo Brasileiroの方々を理解しようとする際に、この芸術論は助けになるのでは、と思いました。というのもNipo Brasileiroの方々のアイデンティティーは簡単に日本、ブラジルと切り分けることはできないもので、まさにその間に存在しており、Nipo Brasileiroという独自の存在であると考えたからです。もちろん、日本館という特殊な空間についても企画を考える際にはよく考えました。その過程で今回のアーティストにも出会っていたったのです。後、今回ジュリアナに参加してもらったことはすごく重要なポイントでした。日系移民110周年という文脈の中で、日本人のアーティスト、ブラジル人のアーティスト、そして日系ブラジル人のアーティスト、と、様々なパースペクティブを導入したいと考えました。今回の作品はジュリアナの記憶を中心としつつも、彼女が出会った人の記憶などが断片的に接続されています。映像と音、色々なものが重なり合い、ズレを生じさせたりしています。日本とブラジルの間にいる彼女の関わりと彼女の作品がこのプロジェクトにはなくてはならないものでした。

 

 

Q. 最初に今回の参加アーティストの方々の作品を最初に見た際にはどのような印象を受けたのでしょうか?

M. 最初に出会ったのはブラジル人でパリを拠点に活動するデタニコ・レインの二人です。ちょうど自分がサンパウロのリサーチに行く前の去年の6月に京都の「ヴィラ九条山」で彼らが滞在制作をしている時に会いました。二人は記号学者でグラフィックデザイナーでもあり、言語やコンセプトを視覚化する作品を作っています。50年代からはじまったコンクリートポエトリーと呼ばれる「視覚詩」の動向の系譜に属すると言っていいと思いますが、京都ではその動向を日本に紹介し「プラスチックポエトリー」として発展させた北園克衛について研究していて、自分も調べていた分野だったので盛り上がりました。今回出品してもらった《ONDA》はアルファベットをそれぞれ波の形に置き換え、ポルトガル語で「波」を意味するONDAという単語を塩で床に視覚化した作品です。これは最初の日本移民が笠戸丸に乗り長い船旅の末ようやくサントス港にたどり着いたはじまりや、それに続きたくさんの移民たちがいくつもの波を越えて日本とブラジルを行き来した歴史、そして特に一世の方は新しい土地で他者とのコミュニケーションにたいへんな苦労されたということから言語の可能性と不可能性、などを詩的に表現する作品だと思い出品をお願いしました。それとは別に、この作品が日本的な建物の床面に配置されるとさぞかしかっこいいだろうと、それを見てみたいという単純な動機もありました。

次にジュリアナに会いました。彼女とはサンパウロでのリサーチ滞在中に共通の知人であるIran do Espirito Santoさんというアーティストの紹介で知り合いました。Iranから「きっと君達は気が合うよ」と言われていたんですが、その通り、初対面なのに懐かしい友達に久しぶりに会ったような時間を過ごしました。移民のことや移民であること、ジュリアナの家族のこと、自分たちにとっての日本とは、などについてを話しました。自分たちの作品やアートのことについても話しましたが、自分たちは誰なのか、立ち位置やあり方、それへの態度や考え方、気の持ち方など、そういうことを主に話したと思います。ジュリアナには今回のプロジェクトを作る上で本当に色々助けてもらったのですが、そのなかで共有したのはプロセスの大切さで一見結果に見えるところも実はプロセスの過程だということですね。彼女との会話は今も続いていますし、今後も続けていきたいと思っています。

時系列的には次に藤井さんの《日本人を演じる》に出会いました。去年の秋に横浜で行われていた日産アートアワードのファイナリスト展でしたが、その時はグループビジットで滞在時間に限りがあり、複数のモニタで映像が流されていたので作品の全てをしっかり見れなかったのですが、当時大変曖昧なあり方のNipo Brasileiroや日本館のことで頭がいっぱいだった自分には、この作品タイトルですでにもうガツーンとやられました。「人類館事件」という過去に実際起こったことを題材に「何をもって我々は日本人を日本人と決めるのか」というシンプルでいながら大変込み入った疑問を人種差別や難民問題が特に露呈する今の時代に問う作品です。作品の構造や狙いを知れば知るほどに、そしてこの問いはNipo Brasileiroのことを考える時に私自身が自問していたことでもあったりしたので、是非日本館で展示させてほしいと強く思い、藤井さんに連絡し、東京のカフェで会ってもらいました。今回の展示では新しくポルトガル語の字幕をつけ、展示しています。会ってもらった時に次作として大航海時代の南蛮屏風に描かれながらも今まで全く触れられてこなかった黒人など奴隷の姿に着目する作品の制作中だと聞いていたこともあり、おそらくこれが藤井さんの作品が南米で展示される初の機会であると思うんですが、その点でも非常になんというか、自分的には高ぶる機会でした。

菅さんとは藤井さんの作品に出会ったあとで大学時代の友人が佐賀県で主催するレジデンシー「Takeo Maboroshi Terminal」を訪ねたのですが、その時にレジデンシーアーティストとして参加していたところを紹介してもらって出会いました。同じ九州出身だったりでいろいろと話してるとき、菅さんが「僕、腕が一本くらい無くなっても良いって思ってるんで、どこでもなんでもやれます!」って言ったんですよ。今でもそれが本当に衝撃的で忘れられない 笑 もちろんジョークとは思いましたが「この人は現場に強くて、同じ目線の高さで一緒に苦楽を共にしてくれるアーティストに違いない」と思いました。実際そうでした 笑。

そして最後に、橋本さんの作品に触れたきっかけは日本の美術関係者の方のインスタグラムです。ブラジルと日本の国旗が重なった作品だったのですが、これはなんなんだ!と思いまして、この方の作品や制作コンセプトなどをもっと知りたい、といろいろ調べ始めました。そして、橋本さんの所属ギャラリーである東京の「AOYAMA | MEGURO」さんに連絡し、ギャラリーで会ってもらいました。直接お話をさせていただくと、橋本さんは他にも色々な社会やアートの問題を独自のスタンスで取り扱っているアーティストであることがわかりました。藤井さんともお知り合いということでいろいろ繋がってきたりしました。本当はここに藤井さんもデタニコ・レインの二人も呼べてこの時間をご一緒できたら最高だったのですが、今回は十分なお金を作ることが叶わず、キュレーターとして不甲斐なく申し訳なく思っています。また何か未来に機会を作れたらいいなと思います。

 

Q. 橋本さん、今回は日系移民110周年を記念した展覧会でもあり空間も独特です、それらのコンテクストが強い企画のお話がきて、最初どのように考えましたか

H. ポスターと時計の作品はそういったコンテクストにも、メイボンさんの『虚実皮膜』にも合致していますよね。僕がこの2作品を起点に行いたかったことは、その場にあるコンテクストから新たに作品をつくるというよりは、その場の求心性を解体し展開するために、遠いコンテクストを引き込み複数化するような作品をキュレーションすることでした。僕の作品として括られる多くは、僕自身がつくり出したと言うよりは、既にあるものを「見繕う」、「キュレーションしている」と言った方が適しているかもしれません。今回の僕の展示で多くを占める「参照」のシリーズは、レディメイドやもの派的な既に普及している物の在り方を見繕い、それに隣り合せる形で街中や抵抗運動などで行われている行為をキュレーションしたものになります。

同じ動きで並ぶ2つの時計は、フェリックス・ゴンザレス=トレスの《Untitled (Perfect Lovers)》としてよく知られた作品です。僕はそこに新たに《Untitled (リオ/東京)》と2つ目のタイトルを加えました。2016年のリオオリンピックと2020の東京、この2つの開催国の位置関係は地球の真裏で、時差は12時間。2つの時計は同じ数字を指しますが、2つ目のタイトルにおいては昼夜反対の時間を意味することになります。この展示はトレスの「2つの時計」をキュレーションすることと同時に、トレスが作者として「2つの時計」を占有することを解体するキュレーションとしてあります。さらにその昼夜正反対の関係が、ちょうどこの2カ国の国旗に現れていることを発見しました。日本の国旗は中央に太陽、ブラジルの国旗には中央に夜空の円が描かれているのです。この国旗2つをそのままの比率で重ね合わせ、夜空の円が太陽の円を隠し皆既日食の姿となることを示したものがポスターの作品です。

現在の東京では、オリンピック事業と癒着関係にあるような文化事業が多数ありますが、東京都の事業に参加した際にそういった背景をひとつのコンテクストとし、この二作品を見繕いました。そして今回とはまた違った、イスタンブールオリンピックや米大統領選、ロックンロール、象徴的色彩、などのコンテクストへ紐付けされる作品を連動するかたちで配置しました。また64年の東京オリンピックのポスターを大量に複製し配布したりもしています。

 

Q. イスタンブールオリンピックですか・・・

H. 2020年のオリンピックはイスタンブールが次点候補地でした。その落選したイスタンブールオリンピックのポスターを、イスラム圏に多い三日月デザインのトルコの国旗を使用し見繕いました。日の丸の東京オリンピックのポスターも用意したので、太陽、三日月、日食の3つのポスターが対比的に並びます。過去全てのオリンピック候補地のリストも展示しましたが、それは4年に1度の世界的岐路のリストと観ることもできるでしょう。横にはオリンピックと同年に毎回行われる米大統領選を扱った作品も展示しました。ヒラリーかトランプか、あるいはサンダースかという選択も勿論ですが、仮に初のイスラム圏でのオリンピック開催となっていたならば、現在とは随分と違った世界情勢となっていたかもしれません。

 

Q. 今回は日本でも発表されている寝る行為をテーマにした作品もありましたね。

H. そうですね、日本での展示と同じように2つの時計の前に「ここで眠ってください」と記した板を置いています。このインストラクションによって観客は、板の上で眠るか、応じずに立去るか、他の者が眠る姿を眺めるか、といった選択をすることになります。観客が会場にいるブラジルの日中、地球の真裏の日本は夜中になります。観客は眠ることで、幾ばくか同地の人々との同期をやめ、地球の裏側の人々と同期します。その右壁には壁に立て掛けた同じサイズの板と、人が板の裏に隠れた写真を添えた作品があり、反対側の壁には立て掛けた段ボールと、段ボールの上で眠るホームレスの写真を添えた作品があります。一方は同じ板、もう一方は「眠る」といった要素で作品間の紐付けがされています。同期/非同期はその隠れてる者やホームレスとも行われるわけです。

 

2)展示空間について

 

Q. 今回の展示の中ではジュリアナの作品と橋本さんの作品が共存している空間がありましたが、その辺りの作品は二人はどのように作られたのでしょうか?

H. 現場に来たら新たな空間を発見し、お互いの活動を知る中で隣り合わせて展示してみようとなりました。

M. コラボレーションが偶発的に起こりましたね。

 

Q. それぞれのアーティストが使うスペースが細かく決まっていなかったということですね?

M. そうですね、特殊な空間なので、いざ現場に来て良い意味でも悪い意味でもアーティストの方が想定している空間とは違っていた、となる可能性も高いと思っていました。なので皆が現場に集合して、一緒に相談しながら最良のやり方を探るのが最もよい方法と思いました。特に橋本さんの作品は、その場にダイレクトに応じるインスタレーションだったのでその方法が合ってましたね。

 

Q. 日本館はかなり独特な空間ですが、橋本さんの作品は空間と絶妙な関係を作っていましたね。室内は皆さんが共存しているスペースでしたが、外には巨大な菅さんの作品がそびえ立っています。これは事前に置く場所を含めたプランが決まっていたのですか?

S. そうですね、日本からどこに作品を置くべきか、というのを考えていました。でも実際の展示の形自体は絶対に現地で見つけようと思っていました。

 

Q. 普段から作品のモチーフは現地で見つけられるのですか?

S. 見つけるというか見ちゃいますね 笑 汚いというか、誰かの電話番号の落書きであったり、これみたくない、というところに、人間が隠している無意識のようなものが現れるのではないかと思っています。そして、その乱雑に書かれた電話番号の0がすごく良かったり 笑 無作為にやっているペンキの汚しとかにもインスピレーションを受けます。なので下ばっかりみて歩いているんですよ。サンパウロは道端に色々なものがあるので吸い込まれてしまいますね。

M. 日本の現代アートの分野では、ストリートアートをベースに活動しているアーティストは少ないのではないかと思います。

S. 僕がキャリアの最初に海外に出て行ったのは、自分の居場所がなかった、というのもありますね。ストリートアートとは自分では思ってませんが、仲間に入れてくれるのであれば仲間に入れてもらいたい 笑 まあ憧れというか。

M. そういう意味ではストリートアートが活況を呈しているサンパウロで、菅さんの作品がどのように成立するかを見てみたい、という興味もありましたね。菅さんの作品は、他方ですごく技術的であったり日本的な要素が強い側面もあります。なので菅さんのその日本的なところがサンパウロにどのように反応するか、というところにも期待感がありました。私が最初に菅さんに会った時、京都の旧庁舎の前のドリッピングプロジェクトの写真を見せてもらったのですが、歴史的建造物に対してこういうアプローチがあるのか、と驚きましたね。そこで今回、中で展示する展示内容と共に、外をどう使うかというところも考え始めました。

 

3)制作の方法論

 

Q. 今回の橋本さんの展示では石やダンボールが印象的でした。これらの作品についてご説明いただけますか?

H.石、レンガ、角材、板、丸太、鉄パイプ、段ボールなどといった拾ったり購入したりしたものを、手を加えることなくスタティックに置き、それぞれの物を用いた行為が写っている写真を添えて展示しています。これが今回の展示の多くを占める参照シリーズです。このシリーズは展示物とキャプション、論文と参照図版といったような博物館的形式や学術的形式をテーマにしています。何か個別のテーマにアプローチするために参照するのではなく、「参照」の在り方を顕在化させることがテーマとしてあります。

7、8点展示した《石と参照:投石》では、街中で拾った石に、アラブの春やパレスチナ、隣国ベネズエラの反政府デモなど、各地で行われた投石の報道写真を添えています。石というある種ニュートラルな物にパレスチナやアラブの春などの「投石」を参照付けることで政治的・歴史的ファクターが加えられます。そして参照は一方的ではなく相互に作用します。パレスチナやアラブの春の投石写真に対してはスタティックな「石」を参照付けることで、その投石行為の政治的・歴史的ファクターを減らし、行為自体を抽象化するといった具合です。

他方、参照シリーズはその展示してる物を用いた行為の写真が添えらることで、その物の使用例やインストラクションのようにも機能します。この場合の観客の実行は、「眠る」作品のように会場で行われるよりは、会場から出た後に為されることを期待しています。

 

Q. 橋本さんが作品内で「分ける」行為や、「叩き割る」行為など、ある種非常にシンプルかつ根本的な行為にフォーカスされる理由はどのようなものなのでしょうか?

H. 例えば投石は、狩りや紛争、遊びや衝動的行為として古代から行われてきた原始的行為と言えるでしょう。その原始的行為が、現代の抵抗運動や暴動といった場面で頻繁に現れるのは興味深いことです。そこで抵抗し打ち破ろうとしているものはなんなのでしょうか。「立つ」、「観る」といった静的な行為であっても、それがある境界を越えて為される時、世界の基盤を揺るがすような可能性があります。そういった行為の現れをはじめ、僕がフォーカスしてきた多くの行為は端的に言うと、破壊的なものです。それは様々な事物が空間を占有する中で、そういった占有を消失させるような破壊。あとに何かをつくるためではなく、空間を空けること自体への破壊と言うことができるかもしれません。ベンヤミンが『破壊的性格』で語るようなあり様、「場所を空けろ」です。

僕は建物が解体され、ビルの狭間に生じる空き地となった空間によく引き込まれます。そこに新たな構造物を建てたり、あるいは広場として整備することではなく、その破壊と荒廃とした空き地自体に引き込まれます。それは人里ない荒野とは異なります。ゼネコンでも震災でも紛争でも、あるいは公共空間でもなく、こういったあり様を探求してきたのがある種のアートと言うこともできるのではないでしょうか。

M. その空き地の話は橋本さんの作品をよく表しているように感じます。例えば同じ空き地でも、日本の田舎の山間部にある空き地と都会の真ん中にある空き地とではまったく意味が変わってきますよね。その土地の周りのものや文脈によって、その土地自体の見え方と意味が変わってくるという。

今回橋本さんのオリンピックなどのコンテストを強く持つ作品を、イビラプエラの日本館というまた別のコンテクストに差し込んでてもらった、という意味で、私自身のキュレーションの方法論が橋本さんの方法論と少し似ているのかもしれません。コンテストを変えることで逆に作品自体の広がりが豊かになってくるように思えるのです。

 

Q. 先ほどコラボレーションという話がありましたが、ジュリアナさんは作品を作る時に、どのような方法論を用いていますか?やはりコラボレーションということが興味の中心にあるのですか?

J. それは作品ごとに違います。作品によっては私はアーティストとしての関与すらしていないのです。私が行った「Pixo Xodô」というプロジェクトでは私はプロジェクトマネージャーという形で関与しました。書道は伝統的で貴族的な文化でもあります、対するPixoはそれとは反対のものと位置付けられます。ただ、私はそれらに何か近いものを感じました。具体的には、二つの表現の文字を比較すれば、時間が生きたものとして提示されていること、身体の動きがそのまま表現となること、空間への関心が鋭敏であること、などの類似点があるといえます。私はこれらの二つの表現を行うアーティスト達に出会いの場を提供したいと思いました。ですのでこれは自分がアートの表現をやっている、ということではありません。この一見アーティストらしくないかもしれない方法論は、日系人の詩人、編集者の「Massao Ohno」から学びました。Massaoは優れた詩人でありましたが、同時に彼の重要な仕事は本の編集の仕事で、他の詩人の作品を発表したり、それらの活動を通し友人となった詩人とのコラボレーションを行いました。ですのでアーティストが視覚的な作品や自分だけで作品を作る、という振る舞いには何か物足りないものを感じます。Massaoは大きな出版社で仕事をする機会もあったようなのですが、一貫してインディペンデントな形で、一人で活動をしていました。このような形で自由を手にしていたのです。しかも、中心となる活動範囲は詩の分野です。ブラジルで詩の分野で継続して活動していくのは並大抵のものではありません。また、彼は非常にオープンな編集者でありました。知られていない作家の作品も自分が気にいれば分け隔てなく出版しました。そして若手の作家には、大手の出版社にいきたいのなら、自分が出版した本を持っていけば良い、とまで言いました。

 

Q. 正にコーディネーターというかプロデューサーのようなポジションということですか。そもそも論として、ブラジルでのアーティストの位置付けをどう考えますか。

J. ブラジルでは本当に「アーティストになりたい」と思わないとアーティストにはなれません。ブラジルのアートマーケットは数年前は良い状況でしたが、昨今はあまり良い環境とはいえません。マーケットが良い時にはいまより多くアーティストがいました。それはある意味興味深い状態であると言えるかもしれません。なぜなら本当に自分の表現やアイディアを提示したい、という人々がアーティストとして残っているからです。それは6070年代の状況とも類似性があるかもしれません。その時代には、アーティストは表現したいという衝動を持って活動していたと言えるからです。そのように考えていけば、橋本さんと私は実は似たようなアーティストやアートヒストリーを参照しているのかもしれません。ただ、その作品のアウトプットの形はかなり違うものだとは思いますが。

 

Q. そのようなことはブラジルに来るまでお互いわからなかった訳ですか?

J. そうですね、そのような類似性があるとは思いませんでした。

 

Q. 菅さんはどうでしょうか?

S. 僕の作品は建築物というか風景ありきですね。それに対して乗りかかり、建物の一部を隠すことで自分の作品もいきてくるのではと思います。イビラプエラの展示会場はイビラプエラの奥の方です。奥の方であったり、人の流れが激しくないところは時間の流れもゆったりとなり、色々な珍しいものが残っていたりすることが良くあります。そういった場所は歴史的なレイヤーが複雑になっているとも言えると思います。このような複雑な場所にドリッピングすることで既存の風景への新しい捉え方が可能になるのでは、と思っています。

 

Q. 隠す、ということをテーマに制作されているということですが、そことグラフィティーへの憧れがある、というのは方向性が違っているようでもあり興味深いですね。

S. グラフィティーは町の一部になり、町の模様を形成していくものだと思います。そして外見もある種パターン化されていると言えます。僕の行為はそれらの風景に暗幕をはってみることなのです。そして、それを後ほど剥がしてみると見方が変わるのではと。なので暗幕を張ったという事実に対して敏感に反応してくる方は僕の作品の本質を一番分かっているとも言えます。

M. 菅さんの作品は何か加えるというか無をつくっていくという感じですね。

S. そうです、でもその無を作るためにはそもそも他者が存在している必要があります。その他者からアプローチをしていくのです。そこから別の場所が開けていくのです。

 

Q. 菅さんは空間的なアプローチをとられたようですが、それに対してジュリアナさんは時間的なアプローチをとった作品と言えそうですね。

J. 私は、通常では作品を論理的な形で作っていきます。しかし、今回は非常に主観的な方法論により作品を作りました。例えば、今まで制作してきたドキュメンタリーのプロジェクト等は全てのシーンがどのような意味をなすかを深く考えます。私は何を見せているか、作品がどこを目指しているか、音が映像にどう影響するか、などです。他方、今回の作品は意図的に映像と音を切り離して再生しています。映像は10分であり、音声は18分程度あり、毎回再生するたびに音と映像はずれていくのです。なので、会場に行って一つの作品体験をしたとしても、別の時間にいけば作品は別のものになっています。つまりこの形は映画館の上映等では不可能であり、展示という形でしか体験できないものなのです。私はこの作品を色々な人々との共作という形で作り上げました。日本での撮影は私の友人が8ミリカメラを使って撮ったもので、編集についても別の友人と行いました。この友人は 「Jornalistas Livres」というインディペンデントメディアを通して知り合いました。私は自分が集めてきた映像をいくつか選び、この友人に渡しました。そして彼が編集したものをベースに議論しあいながら作品制作を行いました。その際に無意識的な編集を意図しました。そうすることで、論理的な構成の対極にある断続性を作品に付与することができたのではないかと思っています。

 

Q. すごく古い発掘されたフィルムのような映像も使われてましたね??

J. 実はすべて新しい映像で、2016年以降のものです。これは2年間の私の人生を撮影してます。時間が中心的なテーマになっているので、それに合わせて撮影方法も少しづつ変えています。例えば携帯で撮った映像もあれば、カメラでとったものもありフィルムもあります。

 

Q. では私の認識が惑わされた訳ですね。

J. これらの映像を撮った際に、一期一会の感覚が非常に重要でした。東京に滞在した際の最後の日に出会った友人との対面した際に感じた、もうこの出会いは繰り返すことはないかもしれない、という感覚です。その感情を映像で表現したかったのです。そして、高齢の方が頻繁に登場するのもそういう感覚が背景にあるからと言えます。104歳のおばあさんや、80歳の私の友人など。私は高齢の方が将来について考える時の感覚を想像することがあります。もう残された時間がない、と考えたりするのではないかと。

佐野ベアトリスによるダンスパフォーマンス、They-Groupによるサウンド、加瀬丹野ジュリアナによるオーディオ・ビデオ・インスタレーション、菅 隆紀による能面にペイントを施した作品(2018年9月22日)

 

4)パフォーマンス

 

Q. 一期一会といえば、今回ワークショップのイベントをされた橋本さんに伺いたいのですが、この度のイベントはどのようなものでしたか? 

H. イベントの計画は特にたてずにサンパウロにやって来ました。展示の方の設営がだいたいでき、街中を探索する中で、展示でも使い、街中で拾えるダンボールと石を用いることに考え至りました。第1部は段ボール。集った参加者全員で1つのダンボールを片手で握り、引裂き合ってもらいます。引裂かれた段ボールに応じて人々は別れ、参加者全員が所有できる数になるまで引裂き合います。そして各々が持つダンボールの破片に、実際にある国名をつけます。ここでのあり様は、地球上の国土の形がプレートテクニクスなどの自然作用と紛争などの人工的作用によって生成されることと酷似すると考えました。暴力的な運動によって国土の形が造形されてきたわけです。その形はある種アンフォルメルなものですが、世の中のアンフォルメルなもので、これ程人々が記憶し、気に留める対象はないのではないでしょうか。

 

 

Q. ダンボールの破片に一つ一つ名前を書いていくということですか?

H. いえ、参加者は入国審査のようにパソコンの前に並び、写真と文字データで登録します。サンパウロの街中で多くのホームレスに出会う中で、野宿の跡から段ボールを拾ってきました。その段ボールはホームレスが眠るためのミニマムな1つの領分だったわけですが、さらに参加者はそのミニマムな領分を細かく引き裂き、持ち帰ることになります。

 

Q. 石についても説明いただけますか?

H. 劣化し剥がれている歩道のコンクリートを街中で拾ってきました。そのコンクリートを集った参加者が順番にハンマーで叩き分割していきます。そして分割することで生成された石を各自選び、ダンボールと同じように登録し持ち帰ってもらいました。コンクリートは都市部の石であると言えるでしょう。この石の生成方法は、都市部での投石行為に際し、石を調達する方法でもあります。ダンボールを平面的、石を立体的扱いとして、同じような行為を繰返すことで、イベントの構造を参加者に意識させるほかに、2つともが展示物であることから、展示との関係も意識させることができたらと考えました。

M. ただの石やダンボールを皆が持って帰るのが面白かったですね。何か名前を与えるだけで愛着が湧いてくる感じでしたね。

 

Q. ホームレスについて言及がありましたが、なぜホームレスを取り扱うのですか?

H. ビルが解体された跡の空き地の話しをしましたが、僕にとって同じように引き込まれる在り方としてホームレスがあります。例えば、地域差から利潤を運ぶ商人や、国をまたぎ展覧会やレジデンスをするアーティストなどはインターナショナルな存在と言えるでしょう。また国家をまたいだ過激派組織ISILの在り方もある種のインターナショナルと言えるかもしれません。インターナショナルなものには、ネーションや地域性がもたらす支配的な影響を超える力がある一方で、それらから巧妙に搾取し、ある種のヒエラルキーをより助長させる側面もあります。ホームレスは国を渡り歩く訳ではないですが、ネーションにも地域性にも根をはらずにインディペンデントな在り方としてあります。社会の支配的な影響をブレイクスルーしようとするときに求めるべき在り方は、起業家や学者、国際展を渡り歩くアーティスト、帝国主義やISIL、といった者にではなく、ホームレスにあると思っています。あとは、僕の父親が少しホームレスっぽい在り様だったことも作用してるかもしれません。

 

ブラジルでの展示と日本のアートシーン

 

Q. ブラジルで展示を行ったことについての感想、そして日本のアートシーンについて少しご説明いただけますか?特に日本では様々な芸術祭が誕生していると思います。

M. 過去、日本以外ではヨーロッパや台湾などでプロジェクトを行いましたが、今回のプロジェクトは私がアジアやヨーロッパ以外で行った初めてのプロジェクトです。ブラジルは仕事の進め方がこれまで経験してきたものと全然違いましたし、陽気でリラックスした方が多い一方で予想以上に官僚的な制度を重視する社会であるとも思いました。プロジェクトの実現には色々とハードルがありましたが、このような形でブラジルと日本が繋がり続けていくことは大切だと思っていますので、またぜひ別のプロジェクトを実施したいとも考えています。私は日本を離れている時間も長いので、日本のアートシーンについては菅さん、橋本さんに話してもらいましょう。

S. 色々な地方で開催される芸術祭に参加してきましたが、一般的な層からアートへの理解というのがどの程度得られているかはわかりません。ただ、作品を一生懸命作っている人への支援というのは厚いですね 笑。

H. 多くの公的な美術館や芸術祭のキュレーターは、行政の下に組み敷かれた独立性の低い組織に置かれています。また国際展でない場合、キュレーターも参加アーティストも多くが括弧で括られた「日本人」です。ブラジルではジェンダーや人種の問題をテーマとするキュレーションを多く見かけましたが、日本では少ないです。そして社会的なアプローチ全般が弱々しくあります。それはアートシーンに限らず日本の社会全般にも言えることでしょう。

移民に対する意識も低く、「日本人」で組織を占めることが大半の日本において、日産のカルロス・ゴーンのような人事は珍しい事例としてあります。ブラジルでは日本からの移民と同じようにレバノンからの移民が多いですが、彼がレバノン系移民の子としてブラジルで生れ、その後フランスと日本で活動してきたことは、リオ、東京、パリと続く現在のオリンピックの行程とリンクする興味深い話しです。とは言え、企業に対し好意を抱くわけではないのですが。

 

Q. アーティストは日本でどのような存在なのでしょうか?

H. 印象派やピカソを終着点にしたような絵画や彫刻によって美学的探求をする者と言ったイメージが未だに強いでしょうか。個人的、内向的感覚によって活動していると想われていますが、実際日本で活動するアーティストには内向的趣向や身近な関心で活動する人が多く、他者に対する意識が低い傾向にあります。外向的人物であっても、島国のそれなりに大きな人口規模から生じるような閉鎖的特性から、共同体の同一性を前提とするような活動が多いです。

M. 私も、日本では作品の主題が、個人的なものが多いように感じます。ブラジルにきて強く印象を受けたのは、南米全体がそうですが、ブラジルでは最近まであった独裁政権などの厳しい歴史的背景もあり、社会的な作品が多く、アーティストもその点、特に暴力と抑圧、そして自由であることに対し非常に敏感である、ということです。もうひとつネガティブな意味で印象的だったのは、我々日本人はその南米の歴史や現状、アートや日本移民のことを含めて、ほとんど無知に近いということです。学校の教科書にも南米のことはそんなに載ってないですし、知ろうとしない限り知らない部分です。それに気づかされました。

 

Q. 橋本さんが関わっておられるアーティスツ・ギルドについて少しご説明いただけますか?

H. アーティスツ・ギルドは機材の共有システムをアーティスト主導で立ち上げ、行政機関やマーケットなどから自律した領域をつくり出すことを試みてきました。アーティスツ・ギルドはアーティストイニシアチブを掲げるコレクティブでしたが、僕はアーティストに限らない諸々の人々によるコレクティブのAn Art User Conference や、基礎芸術 Contemporary Art Think-tank でも活動しています。それらはアーティスト、キュレーター、研究者、観客、市民などといった役割分担的在り方を求めるのではなく、そういった区分け自体が解体されるような新たな在り方を求める取組みです。

僕にはシンパシーを抱くアーティストが東欧や南米に多くいます。環境の貧しさと困難さの中での活動であることに加え、欧米または西側諸国といった地域とは異なる背景から生じる志向にシンパシーを抱くから、なのかもしれません。日本もそういった地域と同じような要素がありますが、随分と歪んでいます。経済大国として、そしてその経済優先の歩みが、ある種の環境の貧しさを根深く醸成してきました。その歪んだ困難さの中で率直さは疎まれ、シニカルな態度が蔓延しています。ですが、そういった困難に取組むからこそ生まれ出てくるすばらしい活動も少なからずあります。それらの活動や私がシンパシーを抱く東欧や南米のアーティストの活動に共通するのは、アウトサイドの在り方と言うことができるかもしれません。それは先程話した「ホームレス」や「空き地」の在り方ともリンクします。

 

Q. 最後になにかコメントはありますか。

M. このプロジェクトの実現のために本当に色々な人の協力を得ました。特にジュリアナはアーティストとして参加してくれましたが、それ以外にも本当に多くの作業を行ってくれたり、多くの人に繋いでくれたりしました。

ジュリアナが繋いでくれたJames Kudoさんがアフロ美術館で働いているRoberto Okinakaさんを紹介してくれたのも大きかったです。それでプロジェクトが色々な方向に広がりました。私の発想から開始したプロジェクトですが、これは皆さんの参加により実現した皆のプロジェクトであると言えます。この展示のために協力してくれた文協の皆さん、アーティストの皆さん、サンパウロの文化機関の方々、ボランティアで手伝ってくださった皆さんに改めて感謝の意を表したいです。

 


プロファイル

メイボン尚子は福岡出身、スコットランド在住のインディペンデントキュレーター。2007年、多摩美術大学大学院芸術学専攻を修了。大学院在籍時より約10年間日本と英国の公・私立美術館やギャラリーでインターンおよび勤務。2011年末よりスコットランド在住、2014年夏より自身の企画運営活動「WAGON」をスタート。間近あるいは進行中の仕事に「イラナ・ハルペリン:ロックサイクル(ヤマグチ)」(2019-2021、山口、スコットランド)、「Leaves without Routes: 根も葉も無い」(2016、台湾・台北)、「毛利武士郎展」(2016、群馬);『Roger Ackling: Between the Lines』への寄稿(2015、出版:Occational Papers)などがある

橋本聡、1977年東京生まれ。アナリスト、アナーキスト、アーティスト、アラブ、アブストラクト、アクト。主な発表:「行けない、来てください」(ARCUS, 茨城, 2010)、グループ展「Omnilogue: JOURNEY TO THE WEST」(Lalit Kara Academy, ニューデリー, 2012)、「独断と偏見:観客を分けます」(国立新美術館, 東京2012)、「偽名」(「14の夕べ」東京国立近代美術館,東京, 2012)、「私はレオナルド・ダ・ヴィンチでした。魂を売ります。天国を売ります。」(青山|目黒, 東京, 2013)、「国家、骰子、指示、」(Daiwa Foundation, ロンド,2014)、「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」(東京都現代美術館, 2016)、「全てと他」(LISTE, バーゼル, 2016)、「Fw: 国外(日本- マレーシア)」(国際空港,飛行機, マレーシアなど, 2016)、「世界三大丸いもの:太陽、月、目」(青山|目黒, 2017)、「夜− 時= 闇」(Hans & Fritz Contemporary, バルセロナ, 2018)、など。個人での活動のほかAn Art User Conferenceや基礎芸術|Contemporary Art Think-tankなどにおいてグループでの活動もおこなっている。

菅隆紀、1985年長崎県生まれ。2009年愛知県立芸術大学卒業。自らの存在を路上に記述するグラフィティの表現を参照しながら、人間の根源的な行為や欲求をテーマに、絵画的技法を用いて表現している。2014年、オーストラリアを放浪中にアボリジニ文化に影響を受け、出会った老人の古民家にて滞在制作を行う。これまでに、KOSHIKI ART EXHIBITION 2012(2012年、 鹿児島)、ドリッピンクプロ ジェクト(2013年、京都府庁旧本館 Musee Acta)、駒 込倉庫(2015年、コミッションワーク)など、国内外で展示。2016マネックス証 券が主催する「ART IN THE OFFICE Program」にてグランプリを受賞。

加瀬丹野ジュリアナ、ニポブラジリアンの現代美術作家です。彼女の制作活動は周りを取り巻く文脈との関係において様々な平面的言語として展開されます。それは建築に関係性を持つインスタレーションから、歴史的・社会的・政治的な関係性を持つお決まりの筋書きをプレス記事から見つけたり、あるいは出版者Massao Ohnoを詩的に追ったドキュメンタリー映画のディレクションに至るまで、様々です。しかし彼女はいつもイメージやアートの果たす作用に関心があります。2004年以来、ブラジルおよび海外での展示会に参加し、開催しています。




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